キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい (エフェソ5章21節~6章9節) 【週報巻頭言】2024年5月12日
エフェソの信徒への手紙5章21節以下の言葉には、三つの関係についての勧めが書かれていました。第一は、妻と夫です。第二に、子と親。そして、第三に、奴隷と主人です。これらは、今から二千年前の時代、家、家庭を構成する人たちの関係です。
この三つの関係に対する勧めが語られるにあたって、最初にこのようなことが語られていました。
キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。(エフェソ5章21節)
これは、これらの勧めの前文のようなものですが、また結論と言ってもいいでしょう。互いに仕え合う関係。妻と夫、子と親、奴隷と主人というのは、互いに仕え合う関係なのだ、というのです。「互いに仕え合いなさい」という言葉の前には、とても大切なことが語られています。それは、「キリストに対する畏れをもって」ということです。互いに仕え合うこと。その動機、出発点は、キリストに対する畏れなのだ。キリストに対する畏れから互いに仕え合うように、ということです。
動機、出発点というのは、とても大切です。例えば、私たちが神さまに従っていく生活、これを教会生活、信仰生活と言いますが、礼拝を守ること、イエスさまを人々に伝えること、献金をささげること、奉仕をすることなどがあります。では、その動機、出発点は何でしょうか?どんな動機、出発点からでもいい、というわけではないでしょう。自分自身が動機、出発点なら、その行うことは、自分の誇りとなってしまいます。自分があれをやった、これをやった、と自分の勲章、手柄のようにして自分を誇るということ、それは、神さまに喜ばれることでしょうか?私たちは、キリストに対する畏れから行う。それは、イエス・キリストが、この私を罪と死から救ってくださるために十字架にかかってくださった。神さまに対する感謝と喜びからすべてのことを行うということです。そこには、自分を誇るものは何もありません。ただ主を誇るのみです(二コリント10章17節参照)。ただ主の救いの恵みを誇るのみです。
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