信仰によって知ること(創世記1章1~5節)【週報巻頭言】2024年6月16日
聖書の一番初めに書かれている言葉は、「初めに、神は天地を創造された」(創世記1章1節)という言葉です。この言葉から、私たちは、神さまがすべてのものを創造された、造られたことを知ります。ある牧師先生は、「初めに、神は・・・」。この言葉について、これは、神さまがすべての人間に対する愛を始められたことを意味する言葉です、と語っています。私は、その言葉を聴いて、聖書は、神さまからのラブレター、愛の手紙ということを思い起こしました。聖書とは、神さまから私たちに向けられた愛の言葉が語られている書なのです。ですから、私たちは、聖書を、神さまからの愛の言葉として、読んでいきたい、聴いていきたいと思うのです。
神さまがすべてのものを造られた。神さまが私たちを造られた。新約聖書にも、これと関連する言葉があります。「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。」(ヘブライ11章3節)
神さまが天地を創造された、すべてのものを造られた、と言いますと、それは科学的ではない。そのように言われる方があります。聖書は、科学的ではない。確かに、聖書は科学の書ではありません。すると、聖書は、読む価値のないようなものでしょうか?ヘブライ人への手紙11章3節では、神さまの天地創造について、このようなことが書かれていました。「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され・・・」。
ここで注意したいことは、「信仰によって」と言われていることです。「信仰によって」。つまり、聖書に書かれている天地創造というのは、「信仰によって」とありますように、信仰の視点から語られていることだということです。「信仰によって」。別な言い方をするならば、信仰というのは、神さまと私の関係ということです。信仰によって、神さまと私の関係において、私たちは、神さまが天地創造された、私たちを造られたことを知るのです。
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