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「神は人を創造された」創世記1章26節~2章4節a 2024/06/23 SUN.

「神は人を創造された」創世記1章26節~2章4節a 2024/06/23 SUN. 赤塚教会礼拝説教

聖書は、すべてのものは神さまによって造られた、と語ります。創世記1章をご覧いただきますと、「神は言われた」ということが繰り返し出てきます(3、6、9、11、14、20、24、26、29節)。つまり、神さまによって、神さまの言葉によって、すべてのものは造られた、ということです。
 先月、この創世記からお話ししました。その時に私は、神さまの言葉は、創造の言葉であり、愛の言葉と言いました。そうであるならば、神さまによって造られた私たちも、創造の言葉、愛の言葉を語っていきましょう、と言いました。創造の言葉、愛の言葉とは、人を造り上げる言葉、人を生かす言葉です。互いに、そのような言葉を語り合っていこうではありませんか。

(聖書から)
 今日は創世記1章26節からお読みしました。神さまの天地創造の話がこの創世記1章、そして、2章に書かれています。先ほど、「神は言われた」という言葉が繰り返し出てくる、と言いましたが、もう一つ、1章のところで繰り返し出てくる言葉があります。それは「良しとされた」という言葉です(4、10、12、18、21、25節)。つまり、神さまが造られたものは、すべて良し、良いものであるというのです。
 神さまは創造主です。そして、神さまによって造られたものを被造物と言います。私たち人間も、神さまから「良しとされた」被造物です。人間が造られたことについては1章26節から記されています。その個所を読んでみましょう。
1:26 神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。
 26節をご覧になりますと、神さまがこう言われた、とあります。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう」。ここに「我々」とあります。「我々」とありますから、神さまというのは複数いるのか?何人もいるのか?と考えるかもしれません。またキリスト教の神さまについては、「三位一体の神」と言います。これは、天地創造された神さま、私たちの罪を救われたキリスト、私たちと共におられる聖霊のことを言います。父なる神さま、子なる神さま、聖霊なる神さま、神さまは三つの面、三つのご性質をお持ちの方です。でも神さまはお一人であり、それを三位一体の神さまと言います。
 聖書には、三位一体という言葉そのものは出てきませんが、聖書全体を読んでいきますと、神さまが三つの面、三つのご性質をお持ちの方であることが分かってきます。そういうことから、今日の聖書に出てくる「我々」ということについて、三位一体の神さまのことを言っているのだ、と説明する方がいます。別の説明では、「我々」というのは神さまという方の存在の大きさとか、尊厳を表しているのだ、と言います。
 「我々」、このことについて、別の説明では、「熟慮の複数」(岩波訳・注)という文法の用法であるとありました。熟慮、それは、神さまの熟慮ということです。どういうことでしょうか?「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう」とありました。それは、神さまは、人間を創造される時、熟慮して行われた。神さまは深くお考えになって、丁寧に行われていった、ということです。そうすると、私たちは、自分のことも、お互いのことも、神さまが丁寧にお造りになった。このことを知る時、自分のことも、お互いのことも、丁寧に、大事にするように努めていくことを教えられるのではないでしょうか。
 ところで、神さまは人間をどのようなものとしてお造りになったのでしょうか。もう一度、26節をご覧ください。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」。神さまにかたどり、神さまに似せて、人を造ろうとされた、ということです。27節でもそのことが繰り返し書かれていています。「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」。
 私たち人間は、神さまにかたどって、神さまに似せて造られました。神さまのかたちに、神さまに似たものとして造られた。ある牧師先生はこう言われました。人間が神さまのかたちに似せて造られた、というのは、私たち人間は、太陽の光を反射して光る星のような存在ということだ、と言われました。私たちは、太陽の光を反射して光る星のような存在。私たちは、神さまを表す存在、神さまの愛を、神さまの光を表す存在だ、ということです。
 ここで新約聖書の言葉を二か所読んでみたいと思います。一つはローマの信徒への手紙8章29節です。
8:29 神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。
 「御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました」とありました。「御子」というのはイエスさまのことです。先ほどの三位一体の神さまでいうと、子なる神さま、救い主なる神さまです。今から、二千年ほど前、神さまは私たち人間にはっきりと分かるように、ご自分のみ子であるイエスさまをこの世に送ってくださいました。イエスさまのご生涯、それは神さまの愛に生きるご生涯でした。その生き方を通して、神さまはご自分の愛を示されました。イエスさまを信じる私たちは、イエスさまのご生涯、生き方に倣って生きるのです。
 もう一つの箇所はコリントの信徒への手紙二3章18節です。
3:18 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。
 「主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです」とありました。「主と同じ姿に造りかえられていきます」とあるように、自分で、自分の力で造りかわるのではないのです。造りかえられていくのです。それは「主の霊の働きによること」とあるように、聖霊の働き、神さまの霊、神様の力によって造りかえられていくというのです。ですから、私たちは、この私を主に倣う者にしてください、と願い、祈りつつ、聖霊の働きによって造りかえられていくことを信じて歩むのです。
 この後、28節には、人間が、この世の生けるものを支配する者とされたことが書かれています。「支配する」というと、何か、相手を自分の思うようにする、という意味に取ってしまうかもしれませんが、そうではありません。神さまが造られたこの世の生けるもの、命を正しく管理する、ということです。自分の好き勝手に、思うままに、ではなく、神さまの言葉、神さまのお考えに従って管理するように、ということです。私たち人間は、いつもこのことを自問自答しなければなりません。神さまのみ心に従って、この世の生けるもの、命を正しく管理しているか・・・。
 29、30節には私たちが生きるために必要なものが神さまによって与えられていることが記されています。しかし、それは人間だけでなく、「すべて命あるもの」(30節)が生きるため、必要なものが与えられていることをおぼえたいと思います。人間だけではありません。すべて命あるものが共に生きることができるように、私たちは考えなければならないのです。
 1章31節をお読みします。
1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。
 「見よ、それは極めて良かった」。ここには「良しとされた」という言葉以上のことが言われています。神さまは、ご自分が創造されたものをご覧になって、このように言われたのです。「見よ、それは極めて良かった」。神さまによって創造された、造られた私たちが、極めて良いものとされているということ。神さまから、その存在を肯定されているということをおぼえたいと思います。
 続いて、2章1節をご覧ください。
2:1 天地万物は完成された。
 ここに「完成された」とありました。私は以前、こんな話を聞いたことがあります。ある親御さんが自分のお子さんのことを「あの子は私の失敗作だった」と言って嘆かれた、というのです。しかし、どうでしょうか。その子は神さまが造られた一人の人間であり、親の所有物ではなく、神さまのものです。しかも、失敗作などではないのです。この聖書の言葉に「完成された」と書かれていますように、神さまの完成品なのです。私たちも同じです。お互いが神さまによって造られた存在であり、神さまによって完成された存在なのです。

(むすび)
2:2 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。2:3 この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。
2:4 これが天地創造の由来である。
 今日お読みした最後の箇所です。神さまは第六の日までに創造の業を終えられました。2節には「第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった」とありました。創造の業、創造の仕事を完成された神さまは、その仕事を離れ、安息されました。3節には「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された」とあります。この第七の日、安息日、私たちはその日を、主の日としておぼえ、神さまを礼拝します。神さまの創造の業によって、私たち互いが神さまに造られ、完成された存在であることを喜び、感謝する。これが私たちの行うべき礼拝です。私たちは、自分自身を見ると、不完全な者としか思えないかもしれません。しかし、神さまと共にあるならば、神さまが私たちを完成へと導いてくださいます。いいえ、神さまと共にあるならば、それは完成なのではないでしょうか。共にそのことを喜び、感謝して歩んでいきたいと思います。

祈り
恵み深い私たちの主なる神さま
神さまの天地創造のことが書かれている聖書の言葉を読みました。私たち人間も神さまによって創造された者です。しかも、「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」とあるように、神さまにかたどり、神さまに似せて造られたのが、私たちです。神さまは、ご自分の大切なみ子イエス・キリストをお送りになり、神さまにかたどって生きること、神さまに似たものとして生きるとはどういうことかをその歩みを通して、お示しになりました。どうか、私たちをイエスさまの言葉、生き方に倣って生きる者としてください。神さまの愛と義を表す者としてください。
 私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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