
神さまとの交わりに生きる(一ヨハネ1章1~4節) 【週報巻頭言】2024年7月7日
わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。(ヨハネの手紙一1章3節)
「交わり」。ギリシア語の原語では、「コイノニア」と言います。交わり、共有という意味です。共有、それは何を共有するのかというと、命を共有するということです。私たちには、神さまの命の交わり、共有が与えられているのです。別の言い方をすると、私たちは、神さまから命を与えられている。神さまによって生かされている、と言ってもよいでしょう。それでは私たちが、神さまを信じる前は、神さまを知らない時はどうだったでしょう。与えられている命とか、生かされている、ということは考えなかったのではないでしょうか?イエスさまを信じることによって、命は神さまから与えられたもの、私は神さまによって生かされている。そのことに気づかされたのです。私たちが出会うあの人、この人も同じです。あの人も神さまから命を与えられた一人、この人も神さまから愛されている一人・・・。
わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。(ヨハネの手紙一1章4節)
「わたしたちの喜び」とありました。3節の言葉から考えると、その喜びというのは、神さまとの交わりにあずかった喜び、神さまから命を与えられている、神さまに生かされている喜びということになると思います。
神さまとの交わり。そのために何か特別なことをしなければならない、と考える必要はありません。祈りを通して、神さまの言葉を聴くことを通して、私たちは、いつでも、どこでも神さまとの交わりを持つことができるのです。詩編119編24節の言葉を二つの聖書の訳で読んでみます。「まことに、あなたのさとしは私の喜び、私の相談相手です。」(新改訳)、「あなたの定めこそ私の喜び 私の良き助言者。」(聖書協会共同訳)
詩編の詩人が、神さまの言葉を、神さまご自身を「私の喜び、私の相談相手」、「私の喜び 私の良き助言者」と言っています。神さまこそは、本当に信頼できる方です。私たちは、この方との交わりに生きることができるようにされたのです。この方と共に歩むことができるようにされたのです。これこそは喜びではないでしょうか。これこそは感謝なことではないでしょうか。私たちがまず、神さまとの交わりを喜んでいきたいと思います。どうか、私たちに与えられたこの交わり、喜びにあずかる方があるように、私たちは祈りつつ、主を伝えていきましょう。
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