聖書は私たちに語りかける(ルカによる福音書2章1~7節)【週報巻頭言】2025年1月5日
マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。(ルカ2章6、7節)
産まれた幼子のイエスさまは、飼い葉桶に寝かせられた、というのです。飼い葉桶のある場所、それはどこでしょう。飼い葉桶とは、家畜の餌箱のことです。すると、幼子は家畜小屋で産まれたということです。
私たちは、毎年のように、クリスマスの時期に、この聖書の言葉を読みます。そして、このようなことを考えるのではないでしょうか。「どうして、宿屋の主人はこの夫婦を宿屋に泊めてあげられなかったのだろう?私だったら何とかしてあげたかもしれない・・・」。そうでしょうか?でも、もしかすると、この宿屋の主人というのは、私たちのことかもしれません。宿屋は満室です、と宿屋の主人は言いましたが、私たちも、同じことを言うかもしれません。イエスさまが、私たちのところにおいでになっても、あいにく私の心は、私の人生は、私の生活は、別のことでいっぱいです。イエスさまをお迎えする用意はありません、イエスさまをお迎えする場所はありませんから、お引き取りください。
しかし、そのような私たちに対して、聖書は繰り返し、繰り返し、語りかけるのです。イエスさまをお迎えしましょう、イエスさまと一緒に歩んでいきましょう、と語りかけるのです。11節には、主の天使が羊飼いたちに語ったメッセージがあります。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」。ここに「あなたがたのために」とあります。「あなたがた」とは、すべての人のことです。イエスさまは、私たちとは何の関係もない方ではないのです。イエスさまは、すべての人の救い主として、神さまがお送りくださった方です。すべての人がイエスさまをお迎えすることができるように、私たちはイエスさまをお伝えしていきましょう。
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