
ノア〔慰め〕(創世記6章1~22節)【週報巻頭言】2025年3月16日
ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。(創世記6章22節)
ノアの箱舟の話というと、絵本で読んだり、アニメでも観たことがあります。ノアはせっせと箱舟作りに励みますが、周りの人たちは何を馬鹿なことをしているのか、とノアのことをからかったりしている様子がありました。そのノアの姿は今、福音を宣べ伝えることに励む教会と重なります。私たちはイエスさまの言葉に従って、福音宣教に励む。家族や友人を主のもとへとお誘いしたり、いろいろなプログラムを企画したりする。けれども、イエスさまを信じる人は年に何人いるかいないか・・・。どれだけ労しても、なかなか結果が出ない・・・。私たちの行なっていることは、世の中の考えからすると、何と無駄なことをしているのか、と一笑に付されてしまうかもしれません。
ノアは周りの人たちからは馬鹿にされたり、相手にされなかったり、そういう毎日であったかもしれません。でも、「ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした」。神さまの言われることを一つ一つ聴きながら従っていきました。なぜ、ノアは主に従うことができたのでしょうか?ノアという人の生まれ持った素直さや純粋さといったものがそのようにさせたのでしょうか?ノアという名前の意味は「慰め」(創世記5章29節)です。父レメクは神さまに慰めを求めて、生まれた子に名付けたのです。そのノアは、どこまでも神さまに従いました。それはノア自身が、神さまから慰めを受けていたからではないでしょうか。神さまの慰めを受けていたからこそ、ノアは神さまの言葉に従い続けられたのではないでしょうか。
このノアの姿から私たちが教えられること、それは、私たちも慰めを、神さまの慰めを自分に与えられた慰めとして受け取っているか、自分が神さまに愛され、救われていることを本当に喜びとしているか、ということです。福音を宣べ伝える者自身がまず、知るべきことはこのことです。神さまの慰め、救いを喜び、感謝する。そこから私たちの信仰の歩み、神さまに対する信頼の歩みが始まるのです。
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