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【週報巻頭言】2023年7月9日 主のわざに励み、待ち望む(一コリント15章20~28節)

「神は、すべてをその足の下に服従させた」からです。すべてが服従させられたと言われるとき、すべてをキリストに服従させた方自身が、それに含まれていないことは、明らかです。すべてが御子に服従するとき、御子自身も、すべてを御自分に服従させてくださった方に服従されます。神がすべてにおいてすべてとなられるためです。(一コリント15章27、28節)

ここには「服従」という言葉が繰り返し書かれています。服従という言葉は今の時代、あまりなじみませんし、良いイメージもありません。特に人間同士の関係においては、人間が人間を服従させるということ、言い換えるなら、人間が人間を支配する、ということはあってはならないことです。しかし、ここでは、服従ということが、人間同士の関係では言われていません。私たち人間が、神さまに従う、イエスさまに従う、という意味で言われています。私たち人間は、私たちを造られ、愛しておられる神さまに服従する、従う者なのです。では、どのようにして従うのか、というと、神さまの掟に従うのです。神さまの掟、それは、神さまを愛すること、そして、私たちが互いに愛し合うことです。

この聖書個所では、終わりの時の出来事が書かれていました。私たちには、その時がいつなのかは分かりません。けれども、いつその時が来るか分からないからこそ、いつでも備えておく必要があります。どのように、備えたらよいのか、この章の最後の58節にはこのようなことが書かれています。

わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。(一コリント15章58節)

「主の業に常に励みなさい」。直訳的には「主の業に常に満ち溢れなさい」(岩波訳参照)ということです。終わりの時というのは、神さまの支配が起こる時です。それは神さまの愛と義がすべてを支配する時です。ですから、その時というのは、イエスを主と信じる者にとっては、喜びの時となります。その時を待ち望みながら、私たちが今、することは何かというと、主のわざに励むこと、主のわざに満ち溢れることです。主のわざ、それはイエスさまを信じる歩みです。イエスさまの愛に倣って生きる、イエスさまの福音を伝える、私たちの歩みのことです。「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならない」とありました。私たちにはいろいろな苦労はありますが、決して無駄にはならない、というのです。神さまは私たちのすべての歩みをご存じです。主のわざに励む私たちを喜んでおられます。終わりの時、主がおいでになる時、その時を待ち望みながら、主のわざに励んでまいりましょう。

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