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永遠の命を生きる(マタイ16章13~28節)【週報巻頭言】2025年3月30日

自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。(マタイ16章25、26節)

「自分の命を救いたいと思う者」。自分の命は大切です。粗末にしてはいけません。それでは、ここで言われていることはどういうことでしょうか?「わたしのために命を失う者」ということも言われていました。「わたしのために」、これは、イエスさまが言われた言葉ですから、イエスさまのために命を失う者ということでしょう。この「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」という言葉を私なりに意訳してみますと、「自分の命を自分の好き勝手に生きようとする者は、命を失う。しかし、神さまのために、他者のために、命をささげる者、生きる者は、命を得る」。

26節には、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか」とありました。ここで「自分の命」と訳されている言葉を幾つかの聖書では意訳しています。「まことのいのち」(新改訳)、「永遠のいのち」(リビングバイブル)、「本当の命」(現代訳)。「自分の命」を、なぜ、このように訳しているのでしょうか?

「自分の命」とありますが、私たちの命というのは、自分で得たもの、自分で獲得したものではありません。私たちの命、それは、神さまから与えられたものです。それなのに、命を与えてくださった神さまを無視して、自分の思うままに使う。自分勝手に生きる。そのことを、神さまは喜ばれるでしょうか?神さまから与えられた命を、神さまのために、他者のために使う。神さまのために、他者のために生きる。その時、私たちは、この命を、神さまが与えてくださった命として、永遠の命として生きることになるのではないでしょうか。

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