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パンと杯の意味(ヨハネ6章41〜59節)

主の晩餐式の時に配られるパンと杯、これはイエス・キリストの十字架の死による私たちの罪の救いを象徴するものです。イエス・キリストが救い主であると信じる者は、これを受け取らなければならないのです。自分では解決できない過ち、罪。それは自分で自分を罰しても解決することはできないのです。しかし、その罪のために主は十字架にかかってくださいました。イエス様は私たちが罪によって受ける罰のすべてを私たちの代わりに受けられたのです。私たちがパンと杯を受け取るというのは、私の罪をイエス様が赦し、救ってくださったことを表すことなのです。
毎週の礼拝もそうです。私は信仰深くない。日々、罪を繰り返してしまう。そんな私は神様の前に出ることはできない。クリスチャンとして生きる。そんなことはできない。そのようにお考えの方がおられるならば、いいえ、むしろ、そういうあなたのために神様は御子イエス様を送ってくださった。あなたを救うために十字架におかかりになったイエス様は復活され、あなたが新しく生きていくことができるように今、出会ってくださる。そのことを知って、神様の前に出て、神様の御子イエス様に出会ってください。この方はあなたの人生を一緒に歩んでくださいます。クリスチャン、イエス様を信じて生きるというのは、立派な、強い人間になるということではありません。神様の前に自分の罪深さ、弱さを知り、そのままで神様の前に出て、この方を信頼し、この方に支えられながら生きるということです。そして、主と共に歩む時、私たちは日々新たにされるのです。

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