
皆一緒に箱舟から出なさい 創世記8章1~22節 2025年5月25日
(はじめに)
毎月一回、旧約聖書の創世記からお話ししています。これまでの話を振り返ってみますと、創世記6章から、ノアの物語が始まり、前回お読みした7章では、神さまが洪水を起こされたことが書かれていました。神さまが洪水を起こされた動機については、6章にこのように書かれていました。
6:5 主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、6:6 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。6:7 主は言われた。
「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。」
改めて、この箇所をお読みしますと、これは神さまの苦渋の決断であったことが分かります。「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた」(5、6節)とあります。よくこのようなことを尋ねられます。神さまは愛の方なのに、神様は正しい方なのに、どうして世の中は悪が絶えないのですか?どうして厳しい裁きのことが書いてあるのですか?こういう質問です。しかし、この聖書の言葉を読みますと、「地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っている」とあります。神さまご自身は愛の方であり、正しい方です。でも、その神さまを無視し、まるでいないかのようにして、好き勝手に生きてしまうのが私たち人間なのです。そういう私たち人間の悪が増し、悪いことばかりを心に思い計る。その姿を神さまはご覧になって、心を痛めておられる、悲しんでおられる。そこでなさった苦渋の決断が洪水ということだった、ということがこの創世記に書かれているのです。
(聖書から)
創世記7章には、神さまが、ノアと家族、そして、動物をつがいでノアに命じて造らせた箱舟に入るように命じられたことが書かれていました。このことについても、なぜ、ノアだけ、ノアの家族だけなのだろうか?という疑問も出てくるかもしれません。ある方は、このように説明しています。神さまは箱舟を造るように言われた、神さまは箱舟に入るように言われた。しかし、そのことを自分に語られたこととして聴いて従ったのはノアとその家族だけだった、というのです。
さて、7章では洪水が起こったことが書かれていました。そして、今日お読みしました8章では洪水は収束した、ということが記されています。1~5節をお読みします。
8:1 神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。8:2 また、深淵の源と天の窓が閉じられたので、天からの雨は降りやみ、8:3 水は地上からひいて行った。百五十日の後には水が減って、8:4 第七の月の十七日に箱舟はアララト山の上に止まった。8:5 水はますます減って第十の月になり、第十の月の一日には山々の頂が現れた。
洪水はようやく収束した。その時のことがこのように書かれていました。1節をもう一度読んでみます。「神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた」。神さまは、ノアとその家族、家畜をみ心に留められ、洪水は収束した、止んだ、ということです。神さまが、ノアとその家族、すべての獣、すべての家畜について、み心に留められた、という言葉が印象的です。別の訳では、「忘れることなく」(聖書協会共同訳)、「覚えておられた」(新改訳2017)となっています。神さまは、ノアを、その家族、獣、家畜をみ心に留められた。その神さまは、今、私たち一人一人のことも、み心に留めておられるのではないでしょうか。
ところでノアは自分たちが助かるために何をしたでしょうか?特に何かをした、ということは書いていません。ただ一つ言えることは、神さまの言葉に聴き従った、ということです。ノアよ、箱舟を造りなさい、と言われた時、箱舟を造りました。ノアよ、箱舟に入りなさい、と言われた時、箱舟に入りました。ノアがしたことはただ一つのこと、神さまの言葉に聴き従った、ということでした。
自分が助かるために、救われるために何をしたらよいのでしょうか?新約聖書・使徒言行録16章30、31節にはこのようなことが書かれていました。これはパウロとシラスが牢獄に入っている時、地震が起こり、囚われていた人たちの鎖が外れた。その時の看守の質問です。
16:30 二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」16:31 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
救われるためにどうすべきでしょうか?パウロとシラスはこう答えました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」。救われるためにどうすべきか?イエス・キリストを信じることだと答えています。これは、ノアも同じです。ノアは神さまを信じました。神さまの言葉を信じ、それに従いました。
続いて、今日の個所の創世記8章6節以下をお読みします。
8:6 四十日たって、ノアは自分が造った箱舟の窓を開き、8:7 烏を放した。烏は飛び立ったが、地上の水が乾くのを待って、出たり入ったりした。8:8 ノアは鳩を彼のもとから放して、地の面から水がひいたかどうかを確かめようとした。8:9 しかし、鳩は止まる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰って来た。水がまだ全地の面を覆っていたからである。ノアは手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のもとに戻した。
8:10 更に七日待って、彼は再び鳩を箱舟から放した。8:11 鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。8:12 彼は更に七日待って、鳩を放した。鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった。
ノアは水が引いて、陸地が出てきたか確かめようと、最初に烏を、そして、次に鳩を放して確かめます。12節には、「鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった」とあります。これは陸地が現われたことが確実になったことを示しているのでしょう。そのことは13、14節に書かれています。
8:13 ノアが六百一歳のとき、最初の月の一日に、地上の水は乾いた。ノアは箱舟の覆いを取り外して眺めた。見よ、地の面は乾いていた。8:14 第二の月の二十七日になると、地はすっかり乾いた。
さあ、長い箱舟生活も終わり、外に出られる!ノアは大変喜んで、家族、家畜と共に外に出ようとしたでしょうか?ノアは陸地があるかどうかを確認することはしましたが、外に出た、とはここには何も書いてありません。この後の個所を読んでみます。15節からです。
8:15 神はノアに仰せになった。
8:16 「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。8:17 すべて肉なるもののうちからあなたのもとに来たすべての動物、鳥も家畜も地を這うものも一緒に連れ出し、地に群がり、地上で子を産み、増えるようにしなさい。」
8:18 そこで、ノアは息子や妻や嫁と共に外へ出た。
8:19 獣、這うもの、鳥、地に群がるもの、それぞれすべて箱舟から出た。
神さまはノアにこのように仰せになりました。「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい」。ノアは箱舟から出ました。けれども、それは、自分から先立って外に出た、自分の判断で外に出たのではないのです。ノアは神さまが箱舟から出なさい、と言われたから出たのです。神さまの言葉が語られて、ノアはそれを聴いて外に出たのです。ここにも、ノアが神さまに聴き従う人であったことが示されています。このように神さまを信じて生きるというのは、どこまでも神さまの言葉を聴き、神さまの判断を仰ぎ、神さまを信頼して生きるということです。先ほどの個所には、神さまがノアのことをみ心に留められた(1節)とありましたが、ノアもまた神さまを心に留めた、神さまの言葉を心に留めた。神さまを信頼したのです。私たちも神さまを信頼して生きる者でありたいと思います。
さて、ノアが外に出て、したことは何だったでしょうか。
8:20 ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。
ノアが外に出て、まず行なったこととは、「主のために祭壇を築いた」ということでした。「そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた」というのです。これは、神さまを礼拝した、ということです。「焼き尽くす献げ物」をささげた、というのは、古い聖書の訳では「燔祭」(口語訳)となっていました。これは罪の赦しのための犠牲の献げ物です。ノアは何よりもまず、神さまを礼拝したのです。そして、罪の赦しを求めたのです。ここでおぼえたいことは、ノア自身は、神さまに従う人でした。神さまに対して罪を犯さないように生きてきた人でした。そのノアが罪の赦しを求めた、というのは、どういうことでしょうか?それは、ノアは自分も含めて、すべての人間の罪の執り成しをした、ということではないでしょうか。このことを思う時、私たちは礼拝に集い、神さまの恵みを感謝すると共に、自分の罪の悔い改め、また世の罪の悔い改めを祈る者でありたいと思うのです。私たちは、平和を求めて祈りますが、平和をもたらさない原因は何かというと、私たち人間の罪が原因です。人が人を支配しようとする、国が国を支配しようとする・・・。罪とは、神さまの愛と義から離れ、自己中心に生きることです。悔い改めとは、自分が罪の生き方をしていたことを神さまの前に認め、赦しを願い、神さまの愛と義を求めて生きることです。悔い改めて生きるとは、日々、新しく生きるということです。
今日お読みしました箇所の最後の言葉、21、22節をお読みします。
8:21 主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。
「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。
8:22 地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも/寒さも暑さも、夏も冬も/昼も夜も、やむことはない。」
ここに書かれていること、それは、「神さまの決心」ということです。神さまは、ノアが神さまを礼拝している姿、ノアが罪の赦しを求めている姿をご覧になり、あることを決心されたというのです。どんな決心でしょうか?それは「人に対して大地を呪うことは二度とすまい」ということです。ここにはこのようにも語られていました。「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ」。生まれながらの人間は、罪に支配された者なのです。どんなに努力しても、自分の力で自分を罪から救うことはできないのです。しかし、神さまは、そういう人間、そういう私たちのために、このような決心をされたのです。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい」。これは、神さまは私たち人間をある仕方で、ある方法で罪から救いへと導くということです。どういう仕方で、どういう方法でしょうか?イエス・キリストによる救いです。神さまは、ご自分の大切なみ子であるイエス・キリストを私たちのところへお送りくださり、イエス・キリストが私たちのすべての罪を引き受けられたのです。そのためにご自分の命をささげられた。それが神さまのなさった救い、十字架の救いです。
(むすび)
ノアという名前には「慰め」という意味があります。創世記5章28、29節にこのようなことが書かれています。
5:28 レメクは百八十二歳になったとき、男の子をもうけた。5:29 彼は、「主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう」と言って、その子をノア(慰め)と名付けた。
ノアの父レメクはその子の名前を名付ける時にこう言いました。「主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう」。そして、今日お読みしました20、21節には「ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。『人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい』」とありました。レメクが願ったこと、神さまがお与えになる本当の慰めがここに実現したのです。ノアは祭壇に焼き尽くす献げ物をささげました。それは神さまへの礼拝であり、罪の執り成しです。「主は宥めの香りをかいで、御心に言われた」とあります。神さまはノアの罪の執り成しを顧みられた、ということです。今、私たちはイエス・キリストが私たちの罪の執り成しをされたこと、主ご自身が罪の裁きを受けられたことを知っています、信じています。イエス・キリストの十字架の救いを信じて生きる、そこに本当の慰めがある。呪いではなく、祝福、滅びではなく、命がある。このことを今日の聖書の言葉を通しておぼえたいと思います。そして、神さまが与えてくださる本当の慰めを、祝福を、命を人々と分かち合っていきたいと思います。
最後にもう一度、16節をお読みします。「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい」。ここに「皆一緒に」とあります。神さまの与える救い、それは神さまがノアに語られたように、「皆一緒に」です。あなたの家族、あなたの友人、あなたの愛する人々に神さまのお与えくださる救いを伝えましょう。イエス・キリストを伝えましょう。そして、皆一緒に神さまと共にある新しい歩みを歩んでまいりましょう。
祈り
恵み深い私たちの主なる神さま
ノアは、箱舟を出た時、まず、神さまを礼拝しました。そして、神さまに罪の犠牲の献げ物をしました。私たちも、感謝と悔い改めに生きる者としてください。神さまはご自分の大切なみ子イエス・キリストを私たちの罪の犠牲の献げ物としてくださいました。そのことによって、私たちは罪から救い出されました。私たちを、私たちを救ってくださったイエス・キリストを伝えていく者として用いてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン
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