
霊は望むままに(一コリント12章1~11節) 【週報巻頭言】2025年7月20日
これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。(一コリント12章11節)
ここには「“霊”は望むままに」とあります。「“霊”」とは、神さまの霊、聖霊、神さまご自身のことです。神さまは、ご自分が望むままに、私たち一人一人にそれらの賜物を分け与えてくださるというのです。すると、賜物を分け与えられた私たちは、賜物を分け与えてくださった神さまが望んでおられることは何か、そのことを聴きながら、その賜物を用いていくのです。キリストの教会のために用いる。イエス・キリストが救い主であることを表すために用いるのです。
何年か前に、「きみは愛されるため生まれた」という韓国の賛美歌が、日本の教会でもよく歌われていました。この歌の歌詞が示すように、私たちは、愛されるために生まれた、愛されるために生きる者です。そして、私たちは、愛するために生まれた、愛するために生きる者です。霊的な賜物についても同じです。私たちに与えられた賜物、それは、愛するために用いるもの、神さまの愛を表すために用いるものです。そのようにして、神さまから与えられた賜物を、神さまの望むように、神さまのみ心にそって、用いていく時、神さまの栄光が豊かに表されていくのです。私たちの教会も、神さまの栄光が表されることを求めて歩んでいきたいと思います。
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