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キリストの福音を覆してはならない(ガラテヤ1章1~12節) 【週報巻頭言】2025年11月16日

しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返して言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。(ガラテヤ1章8~10節)

キリストの福音を曲げようとする、変えようとする者たちに対して、「呪われるがよい」と繰り返し、語られています。「呪われるがよい」とは、「神さまの裁きに委ねます」という意味だそうです。そして、10節の言葉からは、キリストの福音を曲げようとした、変えようとした人たちの動機が分かってきます。ここには、人に対して、「取り入ろう」、「気に入ろう」ということが言われていますが、別の訳では、「納得させよう」、「喜ばそう」(岩波訳)、「説得しよう」、「気に入られよう」(田川訳)とも訳されています。おそらく、この人たちは、キリストの福音を伝えようと励んでいたのでしょう。けれども、なかなか人々がキリストの福音を受け入れないので、人々を納得させよう、喜ばせようとするあまり、福音そのものを曲げてしまった、変えてしまったのではないでしょうか?

キリストの福音を伝える時、私たちは、いろいろな伝道の方法を考えます。近隣の教会の牧師先生方と定期的に会合を持っていますが、その話の中で、ある教会では、こういう伝道の方法を行っている、という報告を聞くことがあります。そういう話を聞くと、励まされたり、参考にしてみよう、と教えられたりします。私たちは、祈りつつ、自分たちができる伝道方法は何だろうか、と考えていきたいと思います。そして、行なっていきたいと思います。伝え方、伝道方法はいろいろあってもよいと思いますが、伝える内容自体を、福音そのものを曲げてしまうような、変えてしまうようなことはあってはならないのです。

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