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パン屑を求める信仰(マタイ15章21〜28節)

「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」(21節)。主はご自分の使命ではない異邦人の求めを却下されます。なんと冷たい!と思ってしまいますが、そういう主に対し、カナンの女は求めることをやめず、こう言うのでした。「小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」(27節)。パン屑でもよいので与えてください、と言うのです。そういう女の求めを主は顧みられます。あきらめずに求めることを教えられると共にパン屑も恵みという信仰を教えられます。パン屑というのは文字通り屑であり、求めるに値しないことのように思えます。しかし、信仰のまなざしからするとそうではありません。時に神様の恵みがパン屑のように見えることがあります。自分と他人を比較し、自分に与えられている神様の恵みが小さなもののように見えることもあります。しかし、そうではないのです。パン屑のように見える、小さなもののように見える神様の恵みがどんなに素晴らしいものであるのか・・・。それは主を信じて生きる時にやがて知らされていくのです。

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