主イエスに従う者に(マタイ20章29~34節) 【週報巻頭言】2025年11月23日
イエスさまは、二人の目の見えない人たちの願いを聞かれました。そして、どうされたのでしょうか?
イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った。(マタイ20章34節)
イエスさまは、彼らを深く憐れんだ、ということです。二人の目が見えない、その苦しみを知られたのです。そして、彼らの目に触れました。すると、二人はすぐに見えるようになった、ということです。しかし、見えるようになった、というところでこの話は終わっていません。「盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った」と書かれています。彼らは見えるようになっただけではありません。イエスさまに従った、というのです。これは、どういうことでしょうか?彼らの肉体的な目が見えるようになった、というだけでなく、信仰の目が開かれた、ということが示されているのではないでしょうか。二人は、信仰の目が開かれ、イエスさまを信頼し、イエスさまに従う者とされたのです。
私たちも心にいろいろな願いを抱いていると思います。そういう私たちにも、主は、「何をしてほしいのか」と問われていると思います。もしかすると、こんなことを願ったら、イエスさまに、「それが本当に願うべきことなのか?」と厳しく叱咤されるかもしれない、と思い、口に出しづらいかもしれません。しかし、何でも主に願ってみてもいいと思うのです。もしも、主から、「それが本当に願うべきことなのか?」と問われたなら、私たちは、そこで方向転換するのです。大切なことは、主に従うことです。「それが本当に願うべきことなのか?」と問われることは大事なことです。そのことによって、私たちは自分では気づかなかったことに気づかせていただけるからです。私たちの目が、信仰の目が開かれるからです。自分に向いていた生き方から、神さまの方を向いていく生き方へと変えられるからです。主が、私たちの目を開いてくださり、主に従う者にしてくださいます。私たちも主のもとに行きましょう。
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