忘れてならないこと(使徒言行録9章1~6節) 【週報巻頭言】2025年12月28日
さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。 「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」(使徒言行録9章1~6節)
ここでは、パウロの名前がサウロと書かれています。パウロというのは、ローマ名ですが、ここでは、サウロというユダヤ名で表記されています。パウロは、熱心なユダヤ教徒であり、キリスト教を迫害していました。迫害をしている時に、復活の主に、イエスさまに出会ったのです。主は、パウロに語りかけます。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」。この出会いにより、パウロは回心するのです。イエス・キリストを救い主と信じたのです。キリスト教に対する迫害者から、キリスト教の伝道者へと転換するのです。復活の主に出会う時、私たちは、自分の罪が示されます。主の光に照らされて、本当の自分を知らされるのです。本当の自分、それは、自分が神さまの前に一人の罪人であるということです。そして、そういう自分を赦し、新しく生きるように導いてくださるイエスさまの愛を知るのです。私たちは罪と赦しを忘れてはなりません。自分が一人の罪人であること、そういう自分を主が赦してくださった。十字架にかかり、この私の罪を赦し、罪から救い出してくださった。このことを忘れてはなりません。
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