山を動かす信仰(マタイ21章18~22節) 【週報巻頭言】2026年2月1日
弟子たちはこれを見て驚き、「なぜ、たちまち枯れてしまったのですか」と言った。イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく、この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言っても、そのとおりになる。信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」(マタイ21章20~22節)
弟子たちの言葉とそれに対するイエスさまの答えが何かかみ合わないように思えます。弟子たちは、いちじくの木が枯れたことを驚いて、イエスさまにそのことを尋ねています。ところが、イエスさまは、このように言われました。「はっきり言っておく。あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく、この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言っても、そのとおりになる。信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる」。
いちじくの木は枯れてしまった。イエスさまは、あなたがたもしっかりしないと、不信仰のままだと、このいちじくの木のようになってしまうよ、枯れ果ててしまうよ。そんなことは、一言も言われませんでした。「あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく、この山に向かい・・・」。いちじくの木については、何かスルーしているような言い方です。ちなみにマルコによる福音書では、いちじくの木のことはまったく触れていません(マルコ11章22節以下)。
イエスさまが弟子たちに言いたかったこと、それは、信仰を持ちなさい、疑わないで信じなさい、ということでした。イエスさまは、いちじくの木が実ることをあきらめていないのです。神の民が、私たちが信仰の実を実らせることをあきらめていないのです。信仰を持ち、疑わないなら、「この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言っても、そのとおりになる」。「山を動かす信仰」ということで知られている聖書の言葉です。信じたら山を動かすこともできる。それは、「不可能を可能にする」という意味です。できるはずがない、絶対に無理・・・。人間の考えでは、そのようにしか思えないこと、しかし、神さまが可能にしてくださる、神さまが実現してくださる。そのことを信じていくのです。
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