喜んでささげる者へ(二コリント9章6〜15節)
6節以下は献金について、種蒔きになぞらえて記しています。「惜しまず豊かに」(6節)というのは、「好意に満ちて」「喜んで」という意味です。そういうことから言いますと、ささげる態度、姿勢ということが言われていることが分かります。このようなことを言いますと、少しでも、喜んでささげればいいんだ、ということを言う人がいるかもしれません。それは確かにその通りですが、本当に信仰の喜びに満たされたら、少しでもいい、と思えなくなってきます。もっともっとささげたい、という思いが与えられます。家族のこととか、愛している人、気にかけていること、関心のあることなどに対しては、私たちはそれこそ、惜しみなく、何でもしたくなりますが、それと同じようにささげる心が与えられていきます。私たちは神様が私たちに対して、どのような目で見ておられるか、どんなに愛しておられるか、そのことをもっともっと知っていきたいと思います。そして、私たちもまた、神様を愛し、教会を愛する者となっていきたいと思います。その時、私たちのささげもの、ささげる心は変わっていくのです。神様に愛された喜びがあふれてのささげものとなっていくのです。
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