救い主が来られる(マタイ24章36〜44節)
主は「目を覚ましていなさい」(42節)と語られる。信仰生活は眠ってしまってはならない。いつも目を覚ましていなければならない。私たちは信仰の目を覚ましていようではないか。再臨の主を待ち望む私たちは父なる神様が私たちの救いのためにその大切な御子であるイエス・キリストを私たちのもとにお送りくださったことを喜び、この方をお伝えすることに励もうではないか。目を覚ましていることとは主の言葉に聴き従い、福音を伝えることである。そのようにして良き備えをするのである。
私たちの現実は確かに厳しい。しかし、そのことゆえに主に対して無関心になってしまったり、主を忘れてしまったりしてはいないだろうか?この聖書の箇所は再臨を待ち望みながらも待ちくたびれてすっかり忘れてしまい、自分たちの思いのままに生きている者たちへの警告であると共に、今、日々の生活のみを追求し、主の声に耳を傾けることをせずにいる者、主に与えられた使命を忘れてしまっている者への警告とも言えるメッセージではないだろうか。
クリスマスを前にして、救い主の訪れを喜ぶと共に、この方を伝えることの使命にあずかっていることを再確認しようではないか。
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