【週報巻頭言】2021年6月6日 主が私を喜びとしてくださる(一テサロニケ2章17~20節)
「わたしたちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。実に、あなたがたこそ、わたしたちの誉れであり、喜びなのです。」(一テサロニケ2章19、20節)
イエスさまの再臨、イエスさまが再び来られ、救いの完成を行ってくださる時のことが言われています。パウロは「イエスさまが再び来られる時、主のみ前で、あなたがた以外の誰が私たちの希望、喜び、誇るべき冠でしょうか」と言っています。これは最高、最上の褒め言葉です。さらにこのようにも言います。「あなたがたこそ、私たちの誉れ、喜び」。これほどに褒められるテサロニケの教会の人々というのは、それほど素晴らしい人たちだったのでしょうか?私は思いますが、人間的に見るならば、いろいろと弱いところ、欠点はあったと思います。しかし、パウロは彼らのことを「私たちの誉れ、喜び」と言うのです。それはおべっかでも励ますためでもありません。ではなぜ、このようなことを言うのでしょうか?それはパウロ自身が神さまからそのように言われていたからです。パウロは神さまから、「あなたは私の誉れ、喜び」。そのように言われていると信じていたのです。そして、それはパウロだけではない。主を信じる一人一人も同じであるとパウロは言っているのです。
サムエル記下22章20節にこのような言葉があります。「わたしを広い所に導き出し、助けとなり/喜び迎えてくださる」。「喜び迎えてくださる」とあります。別の訳では「喜びとしてくださる」(聖書協会共同訳)、「主が私を喜びとされた」(新改訳2017)となっています。私たちは自分が神さまから喜びとされていることをおぼえたいと思います。そして、私たちが出会う人たちにも、あなたは神さまから愛されている人です、神さまから喜びとされている人です、とお伝えしていきましょう。
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