【週報巻頭言】2021年10月31日 神さまのものとして選ばれ、呼び集められた者(マルコ13章14~27節)
一昨年だったでしょうか、オリンピックの代表に選ばれる可能性の高いある水泳選手が白血病に罹り、選手生命も危ぶまれるようなことがありました。その選手は誰から聞いた言葉だったのでしょうか、「神さまは乗り越えられない試練は与えない」ということを言っていました。これはある聖書の言葉とよく似た言葉です。
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。(一コリント10章13節)
乗り越えられない試練は与えない。その言葉の後に「試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」と続いています。突然の病に苦しんだこの選手はオリンピックが一年延期になったこともあってか、晴れて日本の代表選手として選ばれました。その活躍した姿は皆さんもご覧になったと思います。本当に良かったと思います。そして、私はこの聖書の言葉を読むと、反射的に思い出すもう一つの聖書の言葉があります。
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。(ローマ8章28節)
「万事が益となるように共に働く」。この言葉も私たちを励ます言葉です。そして、この言葉について言えば、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たち」には万事が益となるように共に働く、というのです。この召された者たちというのは、「呼び集められた者たち」(マルコ13章27節)ということです。
マルコによる福音書13章には、迫害や試練のことが書かれていましたが、神さまを信頼して生きる者には、逃れる道が備えられている、万事が益となるように共に働く、このような約束があることをおぼえたいと思います。また迫害や試練に対して、逃げる、とか、祈る、ということが言われていましたが、それは神さまに助けを求めること、神さまにお委ねすることを意味しています。私たちの人生、それは長距離走のようなもので、その歩みの中ではいろいろなことがありますが、主が私たちを助けて、この地上の人生を完走させてくださり、天の国、永遠の命へと導いてくださることを信じて歩んでまいりましょう。
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