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見よ、私たちの主(ヨハネ19章1~16a節)【週報巻頭言】2025年4月27日

ピラトは、イエスさまに尋ねました。「お前はどこから来たのか」(ヨハネ19章9節)。あなたはどこから来たのか?という問いです。ピラトは、イエスさまには罪がないことは分かっていましたが、イエスさまがどこから来たのか、そのことは分かっていませんでした。

イエスさまは、この問いには何も答えませんでした。すると、ピラトは、イエスさまにこう言いました。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか」(同10節)。ここで、ピラトは、権限の話をしています。自分には、権限がある。イエスさまを釈放する権限がある。また、イエスさまを十字架につける権限もある、というのです。

それに対して、イエスさまは、このように言われました。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い」(同11節)。ピラトは、自分には、釈放する権限も、十字架につける権限もあると言いましたが、イエスさまは、その権限は誰から与えられたのか、その権限はどこから来たのか、ということを言われたのです。「神から与えられていなければ・・・」とありますように、その権限は神さまから与えられたのだ、その権限は神さまから来たのだ、とイエスさまは言われたのです。すると、このイエスさまの言葉から、ピラトがイエスさまに尋ねた「お前はどこから来たのか」、このことも分かるはずです。イエスさまはどこから来られたのか。神さまから来られた方、神さまのみ子、それがイエスさまです。

ピラトは、イエスさまには罪がないことを知り、「見よ、この男だ」(同5節・別訳「この人を見よ」)と言いました。しかし、ピラト自身は、イエスさまを神さまから来られた方、神さまのみ子と信じることはありませんでした。ピラトは、ユダヤ人たちに、イエスさまのことをこう言っています。「見よ、あなたたちの王だ」(同14節)。ピラトは、「見よ、私の王だ」とも、「見よ、私たちの王だ」とも、言うことができませんでした。私たちは、「見てください、この方こそ、私たちの主です」と告白していきたいと思います。

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