
神が結び合わせてくださったもの(マタイ19章1~12節) 【週報巻頭言】2025年8月24日
イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」(マタイ19章8、9節)
ファリサイ派の人々との問答で、主が語られた言葉です。主は、こう言われました。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない」。「あなたたちの心が頑固なので」とあります。これは、神さまに対して頑固ということです。頑固、頑な。神さまの言われることを聞かないということです。私たちも時々、神さまに対して頑固になる、頑なになることがあるのではないでしょうか。神さまの言うことを聞かなくなる。神さまを信じている、イエスさまが主と言いながら、自分が主になっている、自分が自分の人生の王さまになっている。それが罪ということです。けれども、自分がそういうことになっているとは気づいていない・・・。考えてみますと、私たちは、自分では気づいていない罪の方が多いのではないでしょうか。自分で気づいている罪については、神さま、お赦しください、と祈りますが、気づいていない罪があることさえも気づいていない・・・。神さまに心を向けることがなく、自分のことばかり考えているなら、私たちの信仰の目、霊の目はふさがってしまい、神さまの真理が見えなくなってしまうのです。
主は、ファリサイ派の人々が、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」(マタイ19章3節)と尋ねると、このようにお答えになりました。「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(マタイ19章6節)。「人は離してはならない」とあります。ここでは、結婚の話で言われていますが、これは私たちの人生のいろいろなことでも考えることができると思います。人間の、つまり、私たちの思いであるとか、考え、そういったことによって、神さまの思い、神様のお考えをひっくり返してしまうようなことがあるなら、それはとても残念なことです。神さまの願っておられることは何だろうか?神さまの思い、お考えを私たちはいつも尋ねていくことが大事なことです。
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