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信仰の目、神の視点(フィリピ1章3~14節) 【週報巻頭言】2025年12月21日

兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。(フィリピ1章12~14節)

「主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得」とあります。パウロが捕らわれているのを見た、というのです。この「見た」というのは、肉眼で、パウロが捕らえられた場面を見た、ということではないと思います。彼らは、パウロが捕らわれているのを信仰の目によって見たのです。この信仰の目で見るということはとても大事なことです。

パウロが病を得て、その癒しを祈った時、神さまから示されたことをパウロはこのように語っています。

すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。(二コリント12章9、10節)

パウロは、自分の病が癒されるように、何度も祈りました。その病が福音を宣べ伝えるためには、妨げになるのではないか?と考えて、祈ったのではないかと思います。すると、主はこのように言われたというのです。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」。主がパウロに示されたこと、それは、「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」ということでした。ここで言われている「力」というのは、神さまの力ということです(口語訳は「わたしの力」)。パウロの弱さの中で、神さまの力が発揮されるということが言われているのです。この言葉を受けて、パウロはこのように語りました。「わたしは弱いときにこそ強い」。私は自分の弱さをおぼえる時、そこに生きて働かれる神さまの力があることを信じると言ったのです。これが、信仰の目で見るということです。人間の視点で見るのではなく、神の視点で見るということです。

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