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神を見続ける(創世記16章1~16節) 【週報巻頭言】2026年5月17日

ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、「あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です」と言った。それは、彼女が、「神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか」と言ったからである。そこで、その井戸は、ベエル・ラハイ・ロイと呼ばれるようになった。それはカデシュとベレドの間にある。(創世記16章13、14節)

ハガルは、神さまはこの私を顧みてくださった、と言いました。エル・ロイというのは、私を顧みてくださる神さまという意味です。「神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか」。このハガルの言葉は、聖書協会共同訳では、「私はここでも、私を見守る方の後ろ姿を見たのでしょうか」となっています。「私を見守る方」というのは、神さまのことです。神さまの後ろ姿を見た、という訳になっているのですが、これは、旧約聖書では、罪人である私たち人間は神さまという聖いお方を正面から見ると死んでしまう、と教えられていますので、このように、神さまの後ろ姿を見た、と訳したのかもしれません。神さまは私を顧みてくださった。そして、私も神さまを見続けた、神さまの後ろ姿を見続けた。ハガルは、信仰というのは、神さまを信じた、見た。そこで終わりではありません。神さまを信じ続ける、見続けることです。ここには、私は神さまを見続けた、とありましたが、私たちのこの目で見る、肉眼で見るというよりも、心で神さまを見ると言ったらよいと思います。あるいは、心を神さまに向けていくと言ってもよいでしょう。私たちもハガルのように、心で神さまを見続ける、心を神さまに向けていくのです。

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