神の言葉に立ち上がらされて(出エジプト5章20節〜6章13節)
神の言葉を取り次ぐ者として立たされたモーセでしたが、ファラオを説得できず、イスラエルの民も聞く耳を持たず。すっかり、自信を失ってしまったかのように思えるモーセの姿がここにあります。私たちもこのモーセのように、人の言葉や態度によって、すぐに弱ってしまう者ではないでしょうか。けれども、私たちの信仰の歩みにおいては自信を失う、弱り果てることは大事なことと言えます。それは自分が砕かれる時であり、神様にこそ、希望を置く。神様にこそ自分を委ねる。その大切な機会だからです。モーセは私たちと同じように、人の言葉や態度によって、弱り果て、また、神様の言葉によって立ち上がらされていきました。一進一退の歩みです。そのような歩みの中で、人の言葉や態度に支配されるのではなく、神様の言葉に支配されて生きる者へと、いつも神様を見上げて生きる者へと一歩一歩、前進していけたら、と思います。弱さを抱えた私たちですが、それでも主はそのような私たちを御自身のために用いられます。そのことをおぼえながら、互いに祈り合いつつ、歩んでまいりま
しょう。
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