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一人で悩まないで!(マタイ1章18〜25節)

マタイ福音書のヨセフの苦悩。妻マリアの聖霊による妊娠は理解できない出来事でした。ヨセフは一人で思い悩みます。そこに主の天使の言葉が語りかけます。私はこのヨセフと主の天使の記事から、こんなメッセージを聴きます。一人で悩まないで!神様に尋ねてみなさい!ヨセフはこの言葉に賭けることにしました。神様に自分の人生を賭ける。神様、あなたの言葉を信じます!あなたに自分をお任せします!神様、あなたに私の人生を、いえ、私の妻のこともすべてお任せします!これが信仰です。信仰に生きるというのは、神様に自分をお任せして生きるということです。
さらに、その子の名をイエスと名付けるように、と主の天使は告げます。イエスというのは「自分の民を罪から救う」という意味です。さらにイエス・キリストはインマヌエルと言われます。それは「神は我々と共におられる」という意味です。二千年ほど前に神様が私たちに送ってくださった救い主はこのような方です。私たちを罪から救ってくださる。私たちと共におられる。
ところで罪とは何でしょう?罪とは、神様を知らない、認めないことです。もっと言いますと、自分を神とすることです。自分を正しい者とすることです。そして、自分が罪人であることを知らないこと、認めないことです。イエスを主と信じる人のことはある方はこう言い表しています。赦された罪人、神様に赦されたことを知る罪人。私たちはどこまでも正しい者には成り得ませんが、罪から救われた、罪を赦された、その感謝を持って、喜びを持って生きるのです。自分が丈夫な者であるかのように思ってしまう、正しい者であるかのように思ってしまう。神様の前に出る時、神様の光に照らされた時、自分がどんなに小さく、貧しく、愚かな者であるか、このことを私たちは知らなければなりません。自分の本当の姿は見なければならない、向き合わなければならないのです。そうでなければ、罪も救いも分からないのです。しかし、そういう私を神様は赦しておられる。そういう私に神様は手を差し伸べ、共に歩んでくださっておられる。インマヌエル、主は共におられます。

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