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一人の信仰、一人の救いのために(マルコ6章1〜13節)

主の故郷ナザレ、そこでは主は大工、マリアの息子と呼ばれ、主を求める者はほとんどいなかった。この箇所(マルコ6章1〜6節)は不信仰なナザレの町を驚き、みわざをなさらなかった、という箇所と言えますが、しかし、5節にこのようなことが記されています。「ごくわずかの病人に手を置いていやされた」。この少数の人たち、この人たちは病にあって、主に出会って、何とか、私たちを助けてください、と呼び求めたのかもしれません。主はそのごくわずかの、少数の信仰をかえりみてくださったことに私たちは注意しなければならないと思います。新年度に向かって、教会は多くの救われる魂が起こされるように、多くの方々が礼拝に集うように、と祈り、目標を立てていきますが、このごくわずかな信仰、少数の信仰ということも忘れてはなりません。私たちは百名、二百名と多くの人たちの救いや礼拝出席を願うあまり、一人の信仰、一人の信仰決心を喜ぶことをしないというようなことがあってはならないと思います。一人の信仰を喜ばれる主を見習い、私たちも一人の救い、一人の信仰の決心を大切にしていきたいと思うのです。そしてそこから、主の大いなるみわざが起こってくるのではないでしょうか。

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