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真の自由をいただいた者として

四月から毎週二回、リハビリで通院しています。手先が不自由なのは本当に不便です。よくなりたいという願いを持って励んでいます。身の回りのこと、できないことがあるとがっかりし、一つできるようになると喜び、日々一喜一憂しています。体の不自由なことがどんなにつらいことなのか、昨夏以来、教えられ、気づかされています。けれども、心が不自由なことはもっといやです。心が不自由というのは言い換えれば、罪にとらわれているということ、自己中心の思いに支配されているということと考えていただくとよいでしょう。それは人間関係において如実に現れます。人を赦せない、謝れない、受け入れられない・・・。そういう不自由さがあることを人々との出会いの中で、交わりの中で知らされます。けれども信仰が与えられて感謝です。信仰によって自由が与えられるからです。主は罪の不自由さ、自己中心の不自由さから解放してくださいます。主は私たちを人を赦すことのできる者、謝ることのできる者、愛のわざに励む者に変えてくださいます。この私に与えられた主の愛と赦しを信じる時、主が私たちを変えてくださるのです。

この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。(ガラテヤ5章1節)

わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。(二コリント3章18節)

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