神の家を建てよ(ハガイ1章3〜8節)
イスラエルの民は50年に及ぶバビロン捕囚からようやく祖国に帰ることができました。しかし、祖国は荒れ果て、神殿は廃墟と化していました。そのような状況の中で民は自分たちの生活の立て直し、復興のために汗を流していました。ところが、彼らは信仰の拠り所である神殿の再建を始めることはしなかったのです。神様は預言者ハガイを通して語られます。
「今、お前たちは、この神殿を/廃虚のままにしておきながら/自分たちは板ではった家に住んでいてよいのか。今、万軍の主はこう言われる。お前たちは自分の歩む道に心を留めよ」(4、5節)。
イスラエルの民の気持ちはよく分かります。私たちは自分の生活のために、生きるために一生懸命です。捕囚から帰って来た民は自分たちの生活の再建に苦労していたことでしょう。そのようなことから、神殿の再建、つまり、神様を第一とする生活から離れてしまったのです。
「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6章31〜34節)。
神様は私たちに必要なことすべてをご存じです。イエス様はその神様に信頼し、神様を第一とする歩みをするように語られました。神様はハガイを通して語られます。
「山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。わたしはそれを喜び、栄光を受ける」(8節)。
まず、一歩踏み出しなさい。神様のためにできることを始めていきなさい、と言われているようです。神様は私たちが主のために歩み、生きることを喜ばれます。そして、私たちを通して御自身の栄光を表されるのです。
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