和解(二コリント5章11〜21節)
和解ということについて、ある方がお話していたことを思い出します。それは私たちには三つの和解が必要だというのです。第一に神様との和解です。第二に自分との和解です。そして、第三に他者、人との和解です。
神様との和解。それは神様に罪を告白し、自分が神様に赦された者であることを知り、神様を信頼し、神様を喜んで生きる。自分との和解。これは自分を正しく愛する。自分自身を神様の愛に従って愛すると言ったらいいでしょうか。自分という存在が神様に愛され、大切な価値のある者とされていることを信じて、神様への感謝を持って生きる。神様と、自分との和解がされて、私たちは本当に他者と、人と和解できる、愛し合う生き方が可能となっていくというのです。
16節には「肉に従って知ろうとはしません」とありましたが、「肉に従って」というのは人間の考えとか基準、視点ということです。神様の言葉を聴き、神様のまなざし、視点、お考え、そこからすべてを見る、行なう、そのような歩みができたら幸いです。
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