私たちのなすべき礼拝(ローマ12章1〜8節)
「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」(1節)とあります。そして、それに続いて、「これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」と記されています。この「いけにえ」ということを聞く時、まず、イエス様が私たちのためにご自分を、ご自分の体を神様に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げられたことをおぼえておかなければならないと思います。そして、私たちもイエス様がなさったようにするのです。それがこの「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」ということです。これは別の言葉でいいますと「献身」ということです。自分自身を神様に献げていく。「自分の体」とありましたが、それは私たちの心だけではなく、私たちの存在すべてを指します。それを献げていく。イエス様のもとに行く。それが私たちのなすべき礼拝だというのです。
「なすべき礼拝」。「理にかなった礼拝」とも訳すことのできる言葉です。理にかなった礼拝、そのように言いますと、知的なもの、という意味に捉えられますが、ある翻訳では「筋の通った礼拝」と訳しています。神様の御心にかなった、そういう意味で筋の通った礼拝ということでそのように訳したのだと思います。礼拝はもちろん、主の日の礼拝は大切にされるべきですが、この「献身」の勧めで言われているように、主の日、日曜日だけでなく、毎日の生活の中で、私たちは神様に自分を献げていくのです。それが「なすべき礼拝」、神様の御心にかなった礼拝です。
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