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わたしはこの目であなたの救いを見た(ルカ2章22〜38節)

この箇所には二人の年老いた人たちのことが記されています。一人はシメオン、もう一人はアンナ。二人は救い主を待ち望んでいました。この人たちが救い主に出会った時の様子がここに記されています(29〜32節、38節)。シメオンとアンナは神様に賛美をささげ、救い主を伝えました。主に出会った時、人は変わります。喜びに生きる者とされるのです。シメオンは「わたしはこの目であなたの救いを見た」(30節)と救い主との出会いをこのように言い表しています。救いを見るというのはとても印象的な言葉です。それは救いが観念的なものでは決してないことを示しているように思います。
 33〜35節のシメオンの預言を通して、主イエスの父と母は我が子がどのような者であるかを知らされます。34、35節は主イエスの十字架の出来事を示していると言われています。幼子の救い主はこの時すでに、十字架の救いのみわざを行う者であることが示されていました。
まだ主イエスのことを本当には知らなかったマリアがシメオンの言葉を通して、生まれた幼子がどのような者となるのかを知らされます。私たちも救い主のすべてを今は知らないかもしれませんが、少しずつ知らされていくのです。私たちが聖書の言葉を聴き続ける意味、聖書の言葉に生き続けることの意味はこれです。救い主を知る。救い主がどのような方であるのか、どのように生きられたのか、私たちも体感していくのです。
親は自分が子供のことを一番(?)よく知っていると思うかもしれません。しかし、ここには主イエスの両親が他者から主について知らされ、驚く様子が記されていました。このように、自分が主のことを一番(?)知っているように思っていても、他者から知らされる体験を私たちは何度もするのです。そして、それを喜びたいと思うのです。教会学校の学びはそのようなことを体験する時でもあると思います。互いに救い主を知ることを分かち合う者でありたいと思います。

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