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救われた喜びから・・・(ローマ10章5〜13節)

 パウロが聖書から示した「信仰義認」、すなわち、「信じることによって救われる」とは何もしなくても救われるというよりも、何をしても救われない私たちのために主の十字架の救いがあるということです。それでは行いということは意味がないかというと、そうではありません。救われた喜び、感謝からの応答として、私たちは善いこと、行いをするのです。行いによって救われるのではありませんが、救われた喜び、感謝から行いをするのです。
 私たちの日々の生活、教会生活の中でも、忙しさ、疲れをおぼえることがあります。そういう時、私たちは奉仕の働きをしながら、つぶやいてしまうことがあります。なぜ、私ばかりしなければいけないのか。あの人はやっていないのに。私は心の中にいろいろな不平や不満、怒りなどが溢れてきた時には休息ということが大事だと思います。その休息というのは身体の休息もですが、心の休息ということも大事です。
 イエス様は日々、救いを伝えること、伝道にお励みになりました。でも、イエス様は24時間、そういう生活をされていたかというと、そうではありませんでした。休息をとられました。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」(マルコ1章35節)。私たちにとって必要な休息。それは祈りです。私たちは救われた喜び、感謝から奉仕のわざに励みます。また主の教会のために、人のために心を尽くし、仕えます。しかし、いつも喜んでいられるか、感謝の思いでいっぱいかというと、そうではありません。忙しさがあり、体の疲れをおぼえることがあります。人間関係で辛い思いをすることもあります。裏切られるようなこと、嫌な目に遭い、傷つき、心が張り裂けそうになるようこともあります。
 イエス様は一人、あるいは弟子たちと人里離れたところ、それは生活の現場と言ったらいいでしょうか。そこをしばしの時間、離れて、心を静め、神様に思いを向けて祈りました。私たちもそういう休息、霊的な休息が必要です。心を静め、祈る時、神様の言葉に聴く時を持つことは必要ではないでしょうか。そして、主と共にあること、主との交わりにより、私たちは立ち上がらされていくのではないでしょうか。

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