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すべてをありのまま話した(マルコ5章21〜34節)

 32節には御自分に触れた者をお探しになる主の姿があります。長く病にあった一人の女性が群衆に紛れ込み、知られないようにして主イエスに触れたのです。一方、主は御自分に触れた者を探し求められます。人格的な出会いを求められるのです。そのように、主は今、私たちとの人格的な出会いを求められます。
 探し求める主イエスの様子を見て、女性は驚いたことでしょう。「女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した」(33節)。この驚きはどんな驚きだったのでしょうか。恐れ、畏れ・・・。彼女は探し求める主の姿に押し出さるようにして、自ら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話したというのです。
 「すべてをありのまま話した」。岩波訳の注には「一切の真実を」とあり、新改訳は「真実を余すところなく」とあります。彼女は主と出会い、主にありのままに話したのです。主の前に素直になれた?のです。ルカでは「女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した」(ルカ8章47節)とあります。ルカによると、「皆の前で」とあるように公衆の面前で彼女は話したというのです。公衆の面前で話すような者ではない。主に出会う以前の彼女はそう思っていました。病による汚れ・・・。自分は社会の片隅で生きていくほかないと考えていたのです。しかし、主が彼女を導いたのです。
 34節には「あなたの信仰があなたを救った」という主の言葉があります。ありのままに主の前に出ること、それが信仰なのではないでしょうか。そして、そこには主への信頼があるのです。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」。この34節の言葉は社会復帰の宣言の言葉でもあります。あなたはあなたのままでいい。そこにいていい。そこで生きていっていい。そういう主の言葉なのではないでしょうか。

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