聖なる信心深い生活(ペトロの手紙二3章8〜13節)
救い主イエス・キリストの再臨を待ち望んだ初代教会の人たち、そして、今待ち望む私たち。11節に「聖なる信心深い生活」とあります。新共同訳は「生活」と記しています。一方、口語訳は「極力、きよく信心深い行い」、新改訳は「どれほど聖い生き方をする敬虔な人」とあり、それぞれ「行い」、「生き方」について言われています。私たちの生活、行ない、生き方・・・。私たちの日々の歩みそのものが主の再臨を待ち望むものでありますように。
11、12節の岩波訳を印象深く聴きました。「あなたがたはどんな人であっても、聖なる振る舞いと敬虔さのうちにいなければならない、神の日の来臨を待ち望み、それを急がせつつ」。「どんな人であっても」はだれでも、あるいはすべての人のことではないでしょうか。みんなで主の再臨を待ち望むのです。
9節に「一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです」とあるように、主の再臨の遅延はすべての人が救われることを待ち望む主の憐れみ、忍耐によることだと示されています。その恵みに感謝しながら、一人でも多くの方が主のもとへ立ち帰るために福音宣教に励みましょう。
ところで主の再臨の日とはどんなものなのでしょうか?「義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいる」(13節)。それは神様の義の宿る新しい天と地、神様の完全な支配ということでしょう。主を信じる者には喜ばしい日となるのです。
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