永遠の命に生きる(ヨハネ11章23〜26節)
「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか」(11章25、26節)。ここに出てくる「命」という言葉は新約聖書の原典の言葉、ギリシャ語では「ゾーエ」という言葉です。もう一つ、「プシケー」という言葉があります。これは生物学的な命のことです。私たちのこの地上における命と言ったらよいかと思います。それに対して、「ゾーエ」というのは生物学的な命以上のもの、決して無くならない、終わらない命、永遠の命ということです。イエス様はラザロにこの永遠の命を与えられました。イエスを主と信じて天に召された一人一人もまた「ゾーエ」、永遠の命を与えられた方々です。「わたしを信じる者は、死んでも生きる」。この世での、地上での人生の旅路を無事、完走され、死を迎えられた一人一人ですが、死んでも生きるのです。死で終わりではない。今は神様の御国で主と共におられ、やがて終わりの日の復活の時、ラザロも、そして、主を信じる者も復活するのです。そのことを希望としている私たちに神様はこの地上においては「神の栄光のため」(11章4節)、「神の業がこの人に現れるため」(9章3節)、そのことを信じて、そのことを求めて生きるように、と語っておられるのです。なぜならば、死で終わりではない、と語られる神様が私たちにとってはもう終わりと思える、人生の行き詰まりと思えるそこから栄光を表される、み業をなさるからです。神様の栄光のため、神様のみ業のために生きる者となりましょう。
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