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【週報巻頭言】2021年8月22日 神さまのみ手の中にある(マルコ12章18~27節)

聖書も神さまの力も知らない。思い違いをしている(マルコ12章24節)、とイエスさまは、復活はない、と主張するサドカイ派の人たちに言われましたが、私たちはどうでしょうか。聖書を正しく読んでいるでしょうか。それとも思い違いをしているようなことはないでしょうか。このイエスさまの言葉から示されることは、聖書を知るというのは、神さまの力を知るということでもあるということです。私は聖書をよく知っている。深い聖書知識を持っている方がいるかもしれません。でも、知識はあっても、神さまの力は知らない、という方もいるのではないでしょうか。聖書を知るとは、神さまの力を知るということ。あなたがたは聖書から神さまの力を知ることが大事なのだ。そのことをイエスさまは言われたのではないでしょうか。

さて、次の言葉から、サドカイ派の人たちの質問に対して、イエスさまは直接的にお答えになっていることが分かります。「死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ」(同25節)。サドカイ派の人たちはレビラート婚のことから、復活を信じることがどんなに馬鹿らしいことであるかを話したつもりでしたが、イエスさまはこのようにお答えになりました。復活の時、人はめとることも嫁ぐこともない。天使のようになると言われました。

めとることも嫁ぐこともない。それはどういうことかというと、私たちの生きているこの世のこととは違うということです。つまり、復活というのは、私たち人間が考えているようなこと、この世のこととは違うということです。イエスさまからすると、サドカイ派の人たちの信仰や考え方というのは、この世のこと止まりということが言われているのです。あなたがたは目に見えること、この世のこと、それがすべてと考えている。しかし、そうではない、というのです。

続いて、イエスさまは「天使のようになる」と言われました。私たちは復活の時、天使のようになるというのでしょうか?口語訳聖書で見てみますと、「彼らは天にいる御使のようなもの」とありました。この「天にいる」という言葉に注目したいと思います。復活の時、私たちは天にいるというのです。言葉を換えて言うと、天にいるというのは、神さまのみ手の中にあると言ってもよいでしょう。復活の時、私たちはどうなるか?イエスさまが教えられたこと、それは、私たちは天にいる、神さまのみ手の中にある。私たちはこのことを希望として信じて歩みましょう。

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