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肉をまとった言葉さえも

説教の恵みを思います。説教とは何でしょうか?それは単なる聖書解釈、解説に留まりません。神様の言葉の恵みを語る者自身が受け、それが溢れて人々とその恵みを分かち合うという出来事だと私は思っています。説教を語る時、本当に神様の言葉を正しく伝えているだろうか?自分勝手な読み方で誤ったことを言っていないか?そういうことをいつも心配しています。もちろん、祈りつつ準備します。だからといって、祈ったから、大丈夫、そういうことではないでしょう。自分はただ「分かっただけのイエス様」を、「分かっただけの福音」を語るほかないのです。
ある牧師先生の説教集にこのような言葉が引用されていました。「肉をまとった牧師の言葉が、会衆に聴かれるとき、そこに聖霊なる神が働いてくださって、初めて神の言葉となるのです」。もちろん、牧師の言葉が一変するということではありません。神様がその「肉をまとった牧師の言葉」、すなわち、不完全な、不十分な肉の言葉さえも用いてくださるということです。罪にまみれた、肉をまとった私たちの言葉です。しかし、それさえも神様は用いて、ご自身を顕わしてくださるのです。先日はある兄弟のメッセージから御言葉を語る者自身が聴く人たちに対して、愛をもって語っているか?という問いを受けました。愛の乏しい、不完全な私たちが神様に赦されて、愛されて、歩ませていただいていることを感謝したいと思います。

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