イエスを舟に迎え入れようとした(ヨハネ6章16〜21節)
舟の上の弟子たちの様子がこのように記されています。「そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした」(21節)。弟子たちはイエス様を舟に迎え入れようとした、というのです。「わたしだ。恐れることはない」(20節)。この声を聞いた弟子たちはその声の主がイエス様であるということが分かったのです。
私たちはイエス様を信じていると言いますが、イエス様をこの目で見たわけではありません。しかし、イエス様の声を聴いています。もちろん、その声が音となって聞こえているわけではありません。しかし、私たちは聖書から、イエス様の声を、言葉を聴いています。私たちも今、この聖書から、「わたしだ。恐れることはない」、イエス様の声を、言葉を聴き、主がおられることを知ります、主がおられることを信じます。
「彼らはイエスを舟に迎え入れようとした」。主の声を聞いた彼らはイエス様を舟に迎え入れようとします。それは彼らの人生にイエス様を迎え入れようとした、ということです。そうしたところ、「すると間もなく、舟は目指す地に着いた」というのです。私たちはどうでしょうか?イエス様を自分の人生にお迎えしませんか?
イエス様を私の人生にお迎えする。それはイエス様を自分の人生のアクセサリーのようにすることではありません。お守りのようにすることではありません。むしろ、自分がイエス様の中に飛び込んでいくのです。自分の人生をお任せしていく、お委ねしていくのです。そうするならば、「舟は目指す地に着いた」とありましたように、イエス様は私たちに私たちが本当に目指すべきところへ導いてくださいます。
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