本当の慰め(創世記8章20〜22節)
ノアという名前には「慰め」という意味があります。創世記5章28、29節にこのようなことが記されています。「レメクは百八十二歳になったとき、男の子をもうけた。5:29 彼は、『主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう』と言って、その子をノア(慰め)と名付けた」。ノアの父レメクはその子の名前を名付ける時、こう言った、とあります。「主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう」。そして、8章20、21節には「ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。『人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい』」とありました。レメクが願ったこと、本当の慰めがここに実現しました。ノアは祭壇に焼き尽くす献げ物をささげました。それは神様への礼拝です。そして、神様に対する罪の償い、贖いです。「主は宥めの香りをかいで、御心に言われた」というのはそれを神様は顧みられた、ということです。今、私たちはイエス様が罪の償い、贖いの献げ物となられたことを知っています、信じています。イエス様の十字架の救いを信じて生きる、そこに本当の慰めがある。呪いではなく、祝福、滅びではなく、命がある。そのことを今日の聖書の言葉を通しておぼえたいと思います。そして、神様が与えてくださる本当の慰めを、祝福を、命を人々と分かち合っていきたいと思います。
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