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その人は神に知られている(コリントの信徒への手紙一8章2、3節)

ある方は言いました。私たちは悔い改めということを言うけれども、それは自分が気づいている罪を悔い改めているだけだ。自分が気づいていない罪があることも知らなければならない。自分は、自分のすべての罪を悔い改めている気になっている。しかし、そうではない。本当に気づかなければならないことも気づいていない、と言うのです。
コリントの信徒への手紙一8章2、3節に「自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。しかし、神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです」とあります。「知らねばならぬことをまだ知らない」。これは無知の知ということです。一般的な知識、知恵というだけではありません。自分が何者であるのか、自分の罪を知らない、そういう自分であることを知る。そして、そこから、私たちの信仰は始まるのです。3節には「しかし、神を愛する人がいれば、その人は神に知られている」とあります。神様のことも私たちはまだよく知らない、分かっていない。だからこそ、聖書を読み続けるのです。そういう私たちですが、「その人は神に知られている」。私たちも、神様に知られている者だということです。私という存在が知られている、覚えられている。そればかりか、罪深い、弱さを抱えたこの私が神様に愛されているということです。神様に愛されている、神様の憐れみに生かされている。このことを感謝して歩みたいと思います。

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