聖書に書いてある(ローマ11章1〜12節)
「神は御自分の民を退けられたのであろうか」(1節)。これについて、「決してそうではない。わたしもイスラエル人で、アブラハムの子孫であり、ベニヤミン族の者です」と続きます。「決してそうではない」というのは、神様はご自分の民であるイスラエルを退けてはおられない、ということです。さらに「わたしもイスラエル人で・・・」と書いていますように、パウロ自身がイスラエル人であり、同じイスラエルの民が神様に退けられるようなことはあってはならない、と強く願っていました。しかし、「決してそうではない」というのは、パウロ自身がそうあって欲しくない、という願望をただ言っているだけではありません。神様はイスラエルの民を退けてはいない!その確かな証拠を神様からいただいている。だから、確信をもってこのように言うことができたのです。
それでは、その確かな証拠とは何でしょうか?2節に「神は、前もって知っておられた御自分の民を退けたりなさいませんでした。それとも、エリヤについて聖書に何と書いてあるか、あなたがたは知らないのですか」とあります。聖書に書いている。それが、イスラエルが神様に退けられていない証拠だというのです。
聖書に書いてあるから。私はこの言葉を聞く時、一つの賛美歌を思い起こします。新生讃美歌523番です。この賛美歌の歌詞ですが、元々の歌詞では歌詞の内容が少し違っています。「主われを愛す 主は強ければ」、これが「イエス様が私を愛していることを知っている なぜなら聖書がそのように教えているから」となっているのです。
聖書が教えている。私たちは聖書から、神様が私たちを愛していることを知るのです。この聖書はイエス様が私を愛していることを教えている書物なのです。新しい年の初めです。皆さんはどのような一年の計をお持ちでしょうか?聖書を一日一章ずつでも読んでみよう。1ページずつでも読んでみよう。そういう計画、目標を立ててみたらいかがでしょうか?聖書から、私たちに向けられた神様の愛を日々、聴いていただきたいと願っています。
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