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【週報巻頭言】2022年3月13日 キリストの愚かさに生きる(一コリント4章6~13節)

一コリント4章10節にこのようなことが語られています。「わたしたちはキリストのために愚か者となっている」。「愚か」とあります。この手紙の中に何度か出てくる言葉です。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなもの」(一コリント1章18節)、「神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになった」(同21節)、「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなもの」(同23節)、「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」(同25節)。

「愚か」という言葉と共に「十字架」という言葉が繰り返し出てきました。「十字架」とは、何かというと、イエス・キリストが私たちを罪から救うために十字架にかかって死んでくださった、救いのみわざのことです。しかし、なぜ、他人のために、自分の命を捨てなければならないのか?それは世の中の考え、価値観からすると、愚かなことだというのです。一方、コリントの信徒への手紙一2章12、14節にはこのようなことが書かれています。

「わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。・・・自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです」とありました。「自然の人」というのは、「生まれながらの人」(口語訳)とも訳される言葉です。これは神さまを知らない人のことです。その人にとっては、神さまの霊の事柄は愚かなことのようにしか思えず、理解できないというのです。私たちもイエスさまを信じる前は、イエスさまの十字架の救いを愚かなことのようにしか思えず、理解できなかった、信じられませんでした。しかし、神さまの霊によって神さまの霊の事柄を知るのです。私たちも信仰生活を歩んでいくうちに、分かってくるのです。そして、神さまの霊によって、霊の目が、心が開かれた人は、イエスさまの十字架の意味が分かるようになり、私はイエスさまから命をいただいた!イエスさまによって生かされている!救いの喜びが与えられ、その感謝から、キリストの愚かさに生きようとする。つまり、キリストに従う者になっていくのです。

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