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神に喜ばれる生き方を求めて(ガラテヤ1章1〜10節)

ガラテヤの信徒への手紙1章10節には「今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません」とあります。新共同訳聖書で「人に取り入ろうとしている」が口語訳聖書では「人に喜ばれようとしている」、新共同訳聖書で「人の気に入ろうとあくせくしている」が口語訳聖書では「人の歓心を買おうと努めている」となっています。人に喜ばれようとすること、人の歓心を買おうとすること、それ自体が悪いことではありません。しかし、ここで言われていることは、神様に喜ばれることよりも人に喜ばれることを求める、神様よりも人の目を気にする、人の評価を求める、そういう生き方が問われているのです。そして、それはキリストの僕としての生き方ではない、というのです。そうではなくて、神様に喜ばれる生き方を求めていく。神様の目に何が真実であるのかを求めていく。それがキリストの僕の生き方なのです。
4月4日は公民権運動(人種差別撤廃運動、特に黒人差別に対して)で知られるマーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺されて50年ということでアメリカでは追悼式典などが行なわれました。真実を求める時、それは時として命がけのことになります。キング牧師は神様のみ心がなること、神様の真実が行なわれることを求めて生きた人でした。私たちの命は神様から与えられた命です。イエス・キリストがご自分の命をささげて与えてくださった命です。その命をどう生きるかというと、命を与えてくださった神様の言葉から聴いていくのです。神様の言葉から私たちは神様のみ心、真実を知らされるのです。神様のみ心を、真実を求めて歩んでまいりましょう。

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