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【週報巻頭言】2023年1月1日 救い主が来られた(マタイ1章1~17節)

アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。・・・ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。(マタイ1章1節、16節)

アブラハムの子、ダビデの子であるイエスさま。イエスさまの系図の書き出しは、イスラエルの父と呼ばれたアブラハム、イスラエルの偉大な王と言われたダビデ、その子孫がイエスさまということですが、この系図の中身を見ていきますと、ここに書かれている人たちというのは、決して、優れた人たち、完全な人たち、罪を犯したことのない人たちということではなかったことをおぼえたいと思うのです。むしろ、人間的な弱さを抱え、罪に悩み、失敗し、挫折し・・・、という一人一人であったのです。しかし、そういう人たちのただ中にイエスさまがおいでになった。それがこの系図の示していることではないでしょうか。

アブラハムとダビデについても、アブラハムはイスラエルの父祖、信仰の父と言われましたが、旧約聖書に書かれているアブラハムの箇所を読んでいくと、アブラハムも一人の罪人に過ぎなかったことが分かります。同じくダビデの箇所を読んでいくと、ダビデはイスラエルの偉大な王と呼ばれる人物でしたが、ウリヤの妻を奪ったという事件がありましたように、やはりダビデも一人の罪人に過ぎなかったことが分かります。そういう罪人のただ中にイエスさまはおいでになった。そして、この話を聞く私たちも神さまの前に立つ時、自分が一人の罪人であることを認めなければなりません。そういう私たち罪人のただ中にイエスさまはおいでになった。そのことを私たちは感謝したいと思うのです。

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