自由と奴隷(ガラテヤ4章21節〜5章1節)
ガラテヤの信徒への手紙4章21節からの御言葉からは、アブラハムの物語を例に挙げ、自由と奴隷について示しています。信仰生活というのも、自由な信仰生活と奴隷のような信仰生活というのがあるのです。奴隷のような信仰生活ということでお話しますと、それは人をがんじがらめに縛りつけるような信仰生活です。あなたはこうでなければならない。こうあるべきだ。そういうことを人に押し付ける。そればかりか自分自身にも押し付けてしまう。そういう信仰生活は人を裁いたり、自分を誇ったりするようなことになります。
では自由な信仰生活というのはどういうものでしょうか?それはあれをしなければならない、これをしてはならない、という生き方ではありません。自由な信仰生活というのは、そうせずにおれない、という信仰生活です。献金のお勧めの時によく引用される聖書の言葉があります。「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです」(二コリント9章7節)。
不承不承というのは、いやいやながら、ということです。強制される、人に無理やり強いられる、ということです。それは奴隷のような信仰生活です。しかし、聖書はそういう信仰生活であってはならない、と言っているのです。むしろ、こうしようと自分の心に決めたとおりにしなさい、というのです。それは神様に私は救われた。その救いの喜び、感謝から行ないなさい、ということです。ここに「喜んで与える人」とあるのは、神様の救いを喜び、感謝する心から与える、ささげる人ということです。喜び、感謝から、そうせずにはおれない、そこから始める信仰生活です。皆さんの信仰生活はどうでしょうか?奴隷のような信仰生活でしょうか?それとも自由な信仰生活、神様の救いを喜び、感謝しての信仰生活でしょうか?
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