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長い祈り?短い祈り?(マタイ6章5〜15節)

「また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。」(マタイ6章7節)
 これを読むと、長いお祈りをしてはいけない。そのように考える方があるかもしれません。続く8節にはこのように記されています。
「彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。」(同8節)
 だらだらと長いお祈りをしてしまう。もっと短く、まとまった祈りをしなければ。そのように受け止める方がおられるかもしれません。けれども、ここでイエス様が言われていることは、祈りの長さ、短さではありません。ここで異邦人の祈りと言いましたが、それは真の神様を知らない人の祈り、あるいは真の神様ではない神に祈る祈りということで考えるとよいかと思います。一生懸命、呪文のような言葉を繰り返し唱えることによって、祈りが聴かれると考えていた人がいたようです。しかし、「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じ」とあります。神様はあなたの願っていること、あなたが必要としていることをご存じだというのです。ある人はそれならば、祈る必要はないのか?と考えます。神様は祈る前から、私たちの心の願いを知っているというのだから、それならば、祈らなくてもよいだろう。長い祈りどころか、祈ることさえしなくてもよいと考えてしまう。しかし、ここで言われていることは、神様への信頼ということです。神様がこの私のことを知らないかのように心配して祈るのではない。私のすべてを知っておられる神様、そのことを信じて、信頼して、心を込めて祈っていくのです。神様が私たちに求めておられるのは、信じるということ、信頼してほしい、ということです。

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