彼らも我らと偕ならざれば(ヘブライ11章23〜40節)
「ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。」(ヘブライ11章16節)
「天の故郷」とあります。天の国、神の国、そこに入ることができる。救いのことです。それこそは神様が与えてくださった最も素晴らしい約束です。旧約聖書に出てくる信仰者たちはなぜ、その約束を手に入れることができなかったのでしょうか?ヘブライ11章39節にも「その信仰のゆえに神に認められ」とあります。その人たちの信仰は神様にも認められていたのです。それなのになぜ約束のものを手に入れることができなかったのでしょうか?その答えが40節です。
「神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです。」(11章40節)
なぜ、旧約の信仰者たちは、ただ一つの最も素晴らしい約束、11章40節の言葉で言えば、「更にまさったもの」を手に入れることができなかったかというと、それは私たちのためであった、というのです。私たち、つまり、ここにいる私のことです。40節の最後に「わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかった」とあります。文語訳聖書では「彼らも我らと偕ならざれば」となっています。「偕ならざれば」というのは、みんなと一緒でなければ、という意味です。旧約の信仰者たちと私たちが一緒でなければ、ということです。神様は約束のもの、更にまさったものをみんなに一緒に与えたいと願っておられるのです。私たちが一緒に受けるためにどうしたらよいでしょうか?この更にまさったもの、福音を伝えていくのです。
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