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花婿が一緒にいる!(マルコ2章18〜22節)

「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる。」(2章19、20節)
 ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は断食をするのに、イエス様の弟子たちはしない。どうしてか?その質問に対する答えがこれでした。ユニークなのは、花婿とか、婚礼という話をなさっていることです。このイエス様の言葉から分かることは、花婿というのはだれか、ということです。ここで花婿とはイエス様自身のことです。すると、花嫁がいるわけですが、花嫁はだれでしょうか?それは私たちのことです。
 教会は「キリストの花嫁」と言われます。エフェソの信徒への手紙5章21節以下には「妻と夫」というテーマの箇所があります(エフェソ5章21〜33節参照)。ここには妻と夫に対する勧めが記されていますが、それだけでなく、教会とキリストが妻と夫の関係になぞらえて語られています。私たちはキリストの花嫁です。花婿であるキリストを喜んでお迎えする。それが今、この時なのだ、とイエス様は言われたのです。
 イエス様はこう言われました。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない」。断食というのは、神様に心を向ける大切な信仰のあり方です。でも、今、その神様のみ子であるイエス・キリストが私たちのところに来てくださったのです。イエス様が私たちと一緒にいるのです。神様の前に罪を悔い改めることは大事なことです。自分の日々の歩みを振り返り、神様の愛に生きることができただろうか?神様の正しさに生きることができただろうか?そのことを自問自答する。そして、明日からの歩みはどうか、神様のみ心に適った歩みができますように、と祈る。
 しかし、そのイエス様が私たちのところに来てくださった、一緒に歩んでくださるというのです。自分で一生懸命に頑張ろうとしても、頑張れない、頑張っても罪を犯してしまう、そういう私たちと一緒に歩んでくださるのです。だから、私たちは明日からは一生懸命、罪を犯さないように頑張ります!と誓ったりしなくても良いのです。私のところにおいでくださった、一緒に歩んでくださったイエス様が私をご自由に用いてください、私を使って神様の愛と正しさを表してください、と祈れば良いのです。

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