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悟らせてくださるように(エフェソ1章15〜23節)

 この聖書の言葉(エフェソの信徒への手紙1章15〜22節)の中には、繰り返し、「悟らせてくださるように」(エフェソ1章18、19節)とありました。神様が与えてくださる希望、受け継ぐもの、それがどんなに素晴らしいものであるか、悟らせてくださるように。神様の力がどれほど大きなものか、悟らせてくださるように。ここで言われている「悟る」というのは、神様が与えてくださるものがどれほど素晴らしいものであるか、大きなものであるか、その価値を分からせてくださるように、という意味で理解するとよいかと思います。
 信仰に入って間もない頃は、聖書が示す約束とか、恵みということを聞いても、あまりピンと来なかったかもしれません。復活とか、再臨ということも初めて聞くようなことですから、雲の上の話のように聞こえるかもしれません。けれども、神様を深く知ることによって、それがどんなに価値のある、素晴らしい、大きなことであるかが分かってきます。何が本当に大事なことか、何が本当に価値あることなのか、私たち自身の考え方、価値観が変えられていく中で分かってくるのです。
 それでは、聖書を一生懸命、勉強したら、神様のことが分かるか、信仰が成長するか、というと、そういうことでもありません。聖書を学びながら、自分の考え、価値観が、神様が求めておられる方向へと変えられていくなら、神様のことが分かってきます。信仰が成長していきます。しかし、それは自分の知恵や力によるのではなく、神様の知恵と啓示の霊、つまり、聖霊によって、自分自身が変えられていく時、神様のことが分かってきて、信仰も成長していくのです。自分の考えも価値観も変わらないまま、何か自分にとって良いことはないだろうか、と求めても、何も変わらないし、何も良いことはないのです。
 聖書の言葉の中に、「信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まる」(ローマ10章17節)とあります。聞くこと、聖書から聞く、学ぶ、教えられるのです。そこに聖霊が働いてくださり、私たちを変えてくださるのです。信仰とは自分が神様を自分の思い通りに動かすことではありません。反対です。神様の言葉を聞き、神様のお考え、思いに私たちが動かされていく、従うのです。そこから、神様の恵み、祝福を知ることができるし、体験していくのです。

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